伊達家『竹に雀』家紋 伊達政宗博物誌 伊達家伯記念會 〒980-0805 宮城県仙台市青葉区大手町10-23伊達遊学舎 TEL 022-221-7331 FAX022-213-4840
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仙台藩の家臣団
伊達家の家紋



伊達家の家臣団
伊達家(だてけ)家臣団(かしんだん)無断転載(むだんてんさい)(きん)じます
お野初めの絵馬 青葉神社 蔵
()()めの絵馬(えま)
青葉神社(あおばじんじゃ) (くら) 
仙台市(せんだいし)
 泰平(たいへい)()伊達家(だてけ)軍事的(ぐんじてき)規律(きりつ)武門(ぶもん)精神(せいしん)維持(いじ)するため、
正月三日(しょうがつみっか)野山(のやま)にて藩主(はんしゅ)家臣団(かしんだん)閲兵(えっぺい)した恒例(こうれい)行事(ぎょうじ)
 仙台藩(せんだいはん)62万石(まんごく)行事(ぎょうじ)は、加賀(かが)100万石、薩摩(さつま)70万石に()大藩(たいはん)であり、家臣(かしん)(かず)直臣(じきしん)陪臣(ばいしん)(あわ)せて33,000余人という膨大(ぼうだい)ものでした。その統制(とうせい)秩序(ちつじょ)保持(ほじ)のため、伊達家では戦国期(せんごくき)から家臣団(かしんだん)編成(へんせい)され、4代藩主(はんしゅ)伊達綱村(だてつなむら)時代(じだい)までに家臣団の格付(かくづかくづ)けが確立(かくりつ)しました。
(いち) (もん)
 (ほとん)どが伊達家との血縁(けつえん)関係(かんけい)にある戦国期の大小名(だいしょうみょう)一門(いちもん)は藩政には関与(かんよ)せず、藩主名代(みょうだい)などの形式的(けいしきてき)役割(やくわり)(にな)った。
(いっ) ()
 在地領主(ざいちりょうしゅ)から伊達家に臣従(しんじゅう)し、戦国期(せんごくき)から藩政(はんせい)初期藩政(はんせい)(つう) じて大功労(だいこうろう)のあった諸氏(しょし)家格(かかく)
準一家(じゅんいっけ)
 (おも)主家(しゅか)没落(ぼつらく)や伊達家内応(ないおう)一家(いっか)(じゅん)じた待遇(たいぐう)家格(かかく)
(いち) (ぞく)
 伊達家譜代(ふだい)家臣(かしん)家格(かかく)
宿(しゅく) (ろう)
(ちゃく) ()
 正月(しょうがつ)賀礼(がれい)登城(とじょう)し、藩主(はんしゅ)太刀(たち)馬目録(うまもくろく)献上(けんじょう) し、各班列(かくはんれつ)をもって()し、藩主(はんしゅ)から(はい)(たまわ)家柄(いえがら)
太刀上(たちあげ)
 正月の賀礼に太刀を献上し、藩主から盃を頂戴(ちょうだい)できる家柄。
(めし) (だし)
 正月の宴会(えんかい)(めし)()される資格(しかく)のある家柄。なお、着座・太刀上・召出は政宗以降に確立した家柄。
平士(へいし)大番士(おおばんし)
 仙台藩の戦闘(せんとう)主力(しゅりょく )たる分団(ぶんだん)大番組(おおばんぐみ)にある者。政宗時代に編成(へんせい)され、4代綱村(つなむら)の時代に再編(さいへん )された。一組360で10組存在(そんざい )した。
(くみ) ()
 平士(へいし) の下の武士(ぶし)小姓組(こしょうぐみ)徒組(かちぐみ)・番外士・鷹匠組・不断組 ・給主組・名懸組・同朋・茶道・大所人・馬乗・伯楽・乱舞などをいう。
 
注意(ちゅうい):「仙台藩(せんだいはん)」の名称(めいしょう)について
江戸時代(えどじだい)における諸大名(しょだいみょう)領土(りょうど)の名称は、地名(ちめい)(もち)伊達家(だてけ)であれば仙台領(せんだいりょう)()ばれました。(はん)という公称(こうしょう)は、慶応(けいおう)4年:明治(めいじ)元年(1868)の府県藩三治制(ふけんはんさんちせい)から始まり、仙台領(せんだいりょう)は明治2年に仙台藩と(さだ)められ、同4年の廃藩置県(はいはんちけん)により仙台県(せんだいけん)(あらた)められました。
 (したが)って、明治(めいじ)以前(いぜん)には「仙台藩」や「藩主(はんしゅ)」といった公称(こうしょう)存在(そんざい)しませんが、江戸時代(えどじだい)支配体制(しはいたいせい)(あらわ)総称(そうしょう)として簡便(かんべん)なため、現在(げんざい)でも慣用(かんよう)されています。なお、「伊達藩(だてはん)」という()(かた)造語(ぞうご)(おも)われます。

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